人の死は心臓が止まった時なのか、脳の活動が止まった時なのか、今の臓器提供を取り巻く問題について考えさせられる作品でした。
では、あらすじをご紹介していきます。
播磨和昌は妻薫子と子供二人(娘 瑞恵・息子 生人)の4人家族だが、和昌の浮気を切っ掛けに妻との仲を修復できず、和昌自身は家族が住む広尾の戸建とは別にマンションを借りて住んでいる。
医師の話では、瑞穂の意識が戻らないかもしれないこと、脳が機能している気配が確認できず、脳波も平坦であるという内容だった。
脳波がないことから和昌は脳死ということなのかと訪ねたところ、ルール上、脳死という言葉を使用する訳には行かないと言われた。
医師からの説明を受け、瑞穂に会った後、医師は和昌達に、もしお嬢さんの脳死が確認された場合、臓器を提供する意思はあるか確認された。断れば今のままの状態で死を待ち、承諾すれば脳死判定を行うという。
つまり、脳死と心臓が止まる心臓死と2つの死に方を選ぶ「権利」があるというのだ。
優しい瑞穂なら他の子のために臓器提供を選ぶと思い、臓器提供を決断した。
最期の別れを伝えようと和昌と薫子は瑞穂の手を握っていたそのとき、生人の「オネエチャン」の呼びかけに瑞穂の手が動いたのを感じた二人は、まだ瑞穂が生きていると確信し、臓器提供を拒否し治療を続けることにするのであった。
この装置を付け口の周りの管が取れた瑞穂はまるで静かに眠っているように見える。
自分から参加を希望してきただけあり、新章は熱心に募金活動を行うが、その熱心さから多少不気味な部分もある印象をメンバーに与えてしまうのであった。
募金額の集計をするため事務所へ戻った団体の代表門脇と救う会のメンバー松本に新章は、日本を始め世界の臓器提供の状況について語り始めた。
日本での移植であれば保険の適用などで数十万円の出費で済むものが、アメリカで手術をするしかないことで二億円以上になる日本の法律についてどう思うかを問いかけた。
あらすじは以上です。
臓器提供についてこれまで全く知らなかったので、この本を通じて日本における臓器提供の状況を知ることが出来た、そんな作品でした。