大倉喜八郎は、江戸末期から明治初期にかけて活躍した商人で、銀行業で財を築いた安田善次郎や、三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎などと同時代に生きた人です。
前半は、乾物屋を営んでいた大倉が、横浜で黒船見物をきっかけに、これからは鉄砲の時代だと鉄砲屋に商売を替え、薩長軍への鉄砲の供給や旧幕府群とのやり取りなど苦難を乗り越えて行く内容です。
中盤は、ロンドンでの視察、台湾への物資の供給等、舞台が海外へ移行して行きます。
後半は、中国の革命家である孫文を支援し、中国の発展へ私財を投じて多くの事業を興し貢献して行く内容です。功績については、「捨て石となっても」の章の最後の箇所で、大倉喜八郎が中国で株式投資した事業や借款先が列挙されており(1928年時点)その数は事業25社(投資額1,585万円)、借款先16件(借款額2,328万円)の合計3,913万円と記載がありました。この当時の大工の1日の手間賃が3円程度だそうなので、金額がまさに桁違いです。
以下、一部抜粋しました。
“商人とは足らずを埋めるのを生業にしている。あっちで余っているものを、足りないこっちに回しているんだ。世間では、ただそれだけで口銭を取っている不届き者が商人だと言う輩もいる。しかし足らざるを埋めることも容易ではない。”
“商人とはな、約束が命だ。約束を守らぬ人間は商人ではない。約束を守ることが信用になる。それが商人の土台だ。”
“相手が必要としている物を知らなければならない。仕入れ先にはご迷惑がかからぬように早めにお支払いをして、信用を得なければならない。出来るだけ安く仕入れて、自分の利益は薄くとも相手が喜ぶ価格で提供しなければならない。その品物はきっちりと相手に受け渡さなければならない。これだけの気遣いをして、やっと商人として一人前だ。”
以上です。喜八郎の商人としてのあり方が伝わってくる言葉だと思います。
本書を読んで、大倉喜八郎のスケールのでかさに驚されます。
読み進めて行く毎に、男としてこの行動力、胆力、先見性に惹かれ、小説の世界へ引き込まれて行きました。
一読の価値がある小説でした。
〜目次〜
進むべき道
乾物屋から鉄砲屋へ
商人は商売が命
議を見てせざるは、勇なきなり
天はみずから助くるものを助く
ロンドンで恩を売る
時代の風を受ける人
運命の出会い
自分の意思が道を拓く
独立運動を援助する
戦争で儲ける男
軍人の役割、商人の役割
支援に自分の名は出さず
男子の本懐
捨て石となっても
あとがき