【古典部シリーズ】今さら翼といわれても

書評




米澤穂信さんの大人気シリーズ作品、「古典部シリーズ」6作品目「今さら翼といわれても」を遅ればせながら読みましたが、期待以上の作品でした。

折木奉太郎や千反田えるは、永遠の高校1年生でなく、入学直後の「氷菓」、夏休みの「愚者のエンドロール」など作品を重ねる毎に、成長して行く彼らを感じれるのも古典部シリーズの作品の魅力が存分に楽しめるようになっています。
す。

今さら翼といわれても

本作は、全6編からなる短編集で、前作「ふたりの距離の概算」後の、高校2年生の6月の一夜から始まり、夏休み初日までを舞台にした、6作品からなる短編集です。(「連峰は晴れているか」はアニメでは1年生の設定でした。)

表題にもなっている最後の「今さら翼といわれても」を読んだ後は、早く続きを書いてください!と先が気になってしまいました。

箱の中の欠落

神山高校で行われた生徒会長選挙で行われた、投票に不正が判明。
総務委員として、選挙の開票に立会った福部里志の目の前で行われた犯行の謎を
折木奉太郎が解決していく。
犯行手段にフォーカスをあてたストーリーと 里志らしさを感じられる お話しです。

鏡には映らない

奉太郎 里志 、摩耶花 達の通った中学校の卒業制作で 鏡のモチーフを作成 することになったが、奉太郎 が手を抜いたせいで作品が不完全に終わってしまった。
折木奉太郎の班が提出したのは、デザインを無視したプレートだった。
このことで、デザインをした女生徒が泣いてしまい、折木のクラスは学年からの悪者になってしまった。
高校に入ってからの 折木を身近で見てきた 伊原摩耶花は、省エネだが作業をないがしろにしたりしない 折木がなぜこのような行動をとったのかに疑問に思った。

連峰は晴れているか

アニメを見ていた方はご存知のこのお話ですね。
中学時代の英語教師だった小木先生、彼が「ヘリが好き」という事実を同じ中学の福部 里志もクラスが同じだった伊原摩耶花も覚えてないという。
単純な勘違いと片づけられそうなものだが、省エネ主義の折木が”気になる”この食い違いを千反田と図書館で調べるお話しだが、この気になった理由とはいったいなんなのか。

伝説の1冊

「ふたりの距離の概算」で 語られていた、伊原摩耶花 の漫研の退部の理由について語られているお話し。
学園祭後に河内先輩が 漫研を辞め、 漫研内は漫画を描きたい派と読みたい派の対立が激しくなった。
漫画家をめざし奮闘する 伊原摩耶花は「漫研」なのに漫画が描けないのはおかしいと、立ち上がったメンバーのクーデターに誘われた。果たしてクーデターの結末は。

長い休日

省エネ主義、折木奉太郎の考え方誕生に迫るお話です。

このお話と「 連峰は晴れているか 」を読むことで、 奉太郎がどういった人物なのかがはっきりしてきます。
”やらなくてもいいことはやらない、やらなければいけないなら手短に”
省エネ主義の奉太郎のモットーであるこの言葉はいつ、何がきっかけで生まれたのか。

いまさら翼と言われても

毎年神山市が主催するイベント合唱祭に参加するはずだった千反田えるが、会場から姿を消したお話し。
消えた千反田を探すことになった、 折木奉太郎と 伊原摩耶花だが、場所の見当がまったくつかない。
責任感の強い彼女が、目の前の役割を投げ出してまで失踪した訳とはいったいなんなのか。
なにがそこまで彼女を追い詰めたのか

まとめ

古典部シリーズ第6作の「今さら翼といわれても」は、古典部メンバーの人間性・心情に触れた作品たちでした。

読んだ後、もう一度第1作から読み返したくなる作品で、全古典部ファン必読の一冊です。